作曲の今と夢と出会い 特別寄稿
新型コロナCovid-19渦中での音楽活動~東京・新作歌曲の会での作品発表
38回生 和泉耕二
関西鰐陵の会が感じさせる独特の空気感あるいは雰囲気
2016年3月に大阪音楽大学を退職してからもう6年になります。関西鰐陵の皆様、その後、お変わりなくお過ごしでしょうか。いま、この報告を書きながら、道頓堀での関西鰐陵総会や懇親会を懐かしく思い出しております。その節は大変お世話になりました。はじめて関西鰐陵の会に参加した時は、関西鰐陵は、実は関西といってもたいへん広域にわたっていて、日本の西半分(?)を含んでいるの?!とたいへん驚いたものです。会員には多様な職域の先輩・後輩諸氏がたくさんおられて、その皆さんがしゃちこばらず、まるで知らない旅人に一夜の宿を貸すかのごとき雰囲気をお持ちの方ばかりで(言い過ぎでしょうか?)あることにも正直驚きました。
これは私の勝手な想像ですが、この関西鰐陵の会が感じさせる独特の空気感あるいは雰囲気、ホスピタリー精神は、きっと、関西鰐陵同窓会設立時の創立者、関係諸氏の熱い思いに由来しているのではと思っております(この辺りについては、また同窓会に参加したとき、もう一度しっかりとお尋ねしたいと考えていますのでよろしくお願いいたします)。
以後、設立時から42年を経た現在まで、このようなよき伝統を失うことなく持続させていることはほんとうに素晴らしいことです。この場をお借りして、あらためて、会長、副会長、事務局長および運営に関わる皆様の日頃のご尽力とご苦労に対し心から感謝を申し上げます。
新型コロナCovid-19渦中での音楽活動
~東京で新作歌曲の会での作品発表
さて、2020年あたりから新型コロナCovid-19が世界中を席巻しています。この2年間、日本でもあちこちみな大変で、どなたも相当な忍従の思いの中をお過ごしであったことと思います。私も、関西(大阪)のことを報道で知るにつけ、私の勤務していた大阪音楽大学(豊中市)がどんな風になっているか気がもめてしようがありませんでした。音楽大学でありながら、実技のレッスンも合奏も大変不自由であったと聞いています。
とにかく感染拡大を少しでも防ぐために、止むを得ず自粛せざるを得ない日々があちこちで長く続きました。当然、我々の音楽活動も厳しく制限され、予定していた演奏会は軒並み中止あるいは延期となってしまいました。
しかし、感染回避の方法の周知徹底やワクチン接種による安心度の高まり、あるいは効果がではじめたこともあってか、今年の7月、2年ぶりに、延期となっていた歌曲の作品発表を東京文化会館小ホールにて行うことができました。聴衆の入場は半分に制限されたままでしたが、それなりに満席で、ステージから届けられる歌手とピアニストの表情豊かな生音(楽音)は、私の場合も、作り手の思いと一つになりながら起伏を持って会場の隅々にまで届いていました。演奏が終わったあとしばしの沈黙を経て沸き起こるようにいただいた聴衆の皆さんからの暖かい拍手は格別でした。
八木重吉と宮沢賢治の詩を歌曲にして発表
この第21回新作歌曲の演奏会では、私は前回(2019年)に引き続き、宮沢賢治の詩を歌曲にして発表いたしました。が、実はそれに先じんて私は一つの構想を持っていました。それは、八木重吉(1898〜1927)と宮沢賢治(1896〜1933)の二人の詩に作曲し、それをまとめて「賢治と重吉」というタイトルで出版できないかというものでした。この二人の詩人についてはご存知の方も多いことと思いますが、八木重吉と宮沢賢治は年齢が二つしか違わない同時代の詩人です。どちらもあつい信仰を持ち、それを生きることの真ん中において短い生涯を生き抜いた詩人でもあります(重吉はキリスト教徒、賢治は仏教徒)。もう少し詳しく申しますと、重吉の方は妻帯者で子どももおり、家族愛の強い人でありましたが、あまり人間の付き合いが得意ではなかったようで、内的で孤独なタイプだったのに比し、賢治の方は独身で自然が大好き、かつ科学者の心と文化(芸術)的啓蒙者の側面を持ちながら、他者のために自らを投げ出すようにして外へ出てゆくタイプの人間でありました。私には、この二人には、共通点よりもむしろ違いの方が大きく見えてくるのですが、それにも関わらず、私はなぜかこの二人につよく惹かれます。その理由は、多分、この二人に共通して「ひたすらさ」があるからだと思っています。
八木重吉歌曲集の出版
さて、私が構想した「賢治と重吉」というタイトルでの歌曲集出版についてですが、それは、私自身の作曲が諸事情で進まず、思うほど作品が完成しないでいるため、結局実現しておりません。仕方なく、私は、賢治と重吉の歌曲集を別々に出版することにし、2020年1月にカワイ出版から早く作品が仕上がった重吉の詩10編による歌曲をまとめていたしました。
宮沢賢治の5編の詩による歌曲を完成
宮沢賢治の方は、2019年7月25日に「高原」「原体剣舞連」、今年の2021年7月24日には2年ぶりに「おい けとばすな」「風がおもてでよんでいる」「雲の信号」を発表し、これまでに合わせて5編の詩による歌曲が完成したところです。遅々とした歩みですが、これからさらに「永訣の朝」「無声慟哭」「雨にも負けず」などを作曲したいと考えています。
八木重吉と宮沢賢治の歌曲から詩を一遍ずつご紹介
折角ですので、この場を借りて、「八木重吉歌曲集」から詩(歌曲集の最後に置いた詩)と今年の7月に発表した宮沢賢治の歌曲から詩を一編ずつぜひ紹介させていただきます。
〈皎皎こうこうとのぼってゆきたい〉 八木重吉
それが ことによくすみわたった日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この坂路さかみちをいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もっともっとたかく
皎々こうこうと のぼってゆきたいとは おもわないか 〈秋の瞳〉
〈雲の信号〉 宮沢賢治
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁*もおりてくる(春と修羅) *「雁」とは西の空に沈む昴(すばる)のこと
今年の「新作歌曲の会」での作品発表には、東京鰐陵の同窓も参加
今年の「新作歌曲の会」での作品発表には、木村貴則・前東京鰐陵会長をはじめ千葉保宗氏(34回生)、熊谷義勝氏(38回生)、早川誠氏(38回生)、丁子幹雄氏(38回生)、渡邉公威氏(64回生)、佐々木克仁氏(回生不明)が聴きに来てくださいました。
木村貴則・前東京鰐陵会長からは「〈新作歌曲の会〉は、ご案内を頂いてからほぼ毎回聴きに行っております。何時も、和泉さんの曲がお世辞抜きで一番良いなーと思って帰ります。今回もそうでしたね。歌い手の技量の関係も有るのでしょうが、歌詞が分かる
様に歌って欲しいなと思います。和泉さんの曲は、奥さんの伴奏も見事で、いつも楽しみにしています」という嬉しいメッセージをいただいております。
令和4年(来年)3月6日(日曜日)は大阪府茨木市でも発表
どちらもよい曲ですのでいつかぜひ皆様に聴いていただきたく思っております。
それから宣伝になりますが、今後の作品発表の予定です。令和4年(来年)3月6日(日曜日)、「まほろば第16回演奏会」にて歌曲二つを発表いたします(茨木市クリエイトセンター)。ご都合よろしければぜひお出かけください。
現在、東京武蔵野市の幼稚園で理事長として
~子どもたちの未来をみつめながら
さて、最後になりますが、私は現在、東京・武蔵野市(吉祥寺駅近く)にあるすみれ幼稚園を手伝っています。2017年から4年間、園長を、その後園長と理事長を兼任し、現在、理事長を勤めていますが、この2年間は新型コロナ禍でほんとうに大変でした。しかし、子どもたちは不思議なことにどんな時でも大人に元気をくれます。子どもたちの笑い声、不思議がる姿、不満げな顔さえが私たちに元気をくれます。という訳で、小生、もう少しの間だけ、子どもたちの未来のことを考えながら頑張りたいと思っています。 (作曲家、大阪音楽大名誉教授・元副学長)
(和泉耕二さんご紹介 編集部・加藤憲雄)
作曲家。宮城県石巻市出身。住吉中学校卒。宮城県石巻高等学校38回生。国立音楽大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。高田三郎、廣瀬量平、島岡譲らに師事する。1997年より大阪音楽大学教授(後に副学長に就任)、ほかに京都市立芸術大学で教える。日本現代音楽協会と日本作曲家協議会会員、オーケストラ・プロジェクト同人。2011年3月の東日本大震災以来、副学長として大阪音楽大学の学生・教員あげて被災者・石巻地域支援に取り組んできた。関西音楽人(のちから『集』)などが続けてきた活動~復興支援オーケストラ演奏会等を通じて、石巻市など被災自治体へ5千万円以上の義援金を届ける取り組みなどでも、石巻出身者として積極的な役割を果たしてきた。現在でも真弓夫人とともに、音楽人として精力的な支援活動を続けている。温厚篤実、利他の思いやりにあふれる人格の人。大阪・関西の音楽界では大御所的な存在の一人。関西鰐陵の総会・文化企画ではこの10年、ディレクター役を引き受けてくれている。関西の音楽人・詩人らと、毎年大阪府茨木市で新作歌曲によるコンサート開催(「まほろば21世紀創作歌曲の会」)。東京鰐陵会理事。 東日本大震災に関連して以下の作品を作曲している。
東日本大震災からの復興を願って「石巻・わがふる里」(2012)[1]、希望−ソプラノとピアノのための/東日本大震災からの復興を願って (2011)、深い悲しみの中で−ヴァイオリンと十三絃箏のための (2012)。
特に「石巻・わがふる里」(2012)は演奏会を通じ、石巻の市民や地域の人々、鰐陵同窓にもひろく歌われ、みなを励まし、感動させてきた。
*参考~会報「鰐陵」や大阪音楽大学資料、出版物・オンライン経歴紹介